紅をさすということ

 わたしの好きな日本語表現の一つに「紅をさす」という言い回しがある。特に、頬紅や口紅をつけること。別に「つける」でも「塗る」でも構わないけれど、「紅をさす」というこの微妙で繊細なニュアンスが好きで仕方がない。この言い回しを聞くと思い浮かべるものーー細身の紅筆、握る手の冷たさ、筆先を平たく整える細やかな指、ルージュの鮮明な赤色、覗き込む小さな鏡、筆に触れた瞬間に染まる唇、妖しく艶やかな微笑み。これはわたしだけの感覚かもしれないけれど、「紅をさす」という表現には「つける」「塗る」にはないようなニュアンスを含んでいると思う。

 そもそも「紅をさす」という言葉はどこから生まれたものなのかと気になって、日本における化粧について少し調べてみることにした。

 古代より魔除けとして赤い塗料を顔に塗る「赤化粧」は広く伝わっていたようだけれど、その後飛鳥・奈良時代に隋や唐より化粧品や化粧法が伝えられたという。この時代は唇を濃い赤色で染め上げる化粧が主流だったという。平安時代になると、遣唐使廃止の影響により国風文化が栄え、女性の化粧方法も日本独自のものへと変化を遂げた。ここで、下唇にほんの少しだけ「紅をさす」風習が生まれたという。鎌倉時代から戦国時代にかけては、新しい化粧法として頬紅が取り入れられていった。しかし、江戸時代初期には女性向けの教養書に「紅などはうすうすとあるべし」などの記述が見られ、薄化粧が推奨されたという。また中期以降になると、非常に高価な紅花を多量に使って唇が黒に近い黒緑赤色になるまで重ね塗りする「笹紅」という化粧法が流行したともいう。

 つまり、口紅を「塗る」習慣が出来たのは飛鳥時代。口紅を「さす」習慣ができたのは平安時代、ということ。平安時代より日本人の女性は口紅を塗らずに「さし」てきた。果たして、この微妙な言語のニュアンスは日本人独自のものなのか。

 英語では「口紅を塗る」ことを"put on lipstick"や"wear lipstick"、"apply lipstick"という。"wear"の使用は結構好きだし、相性がいいと思う。ただ、これでは「さす」というニュアンスが伝わらない。「薄くつける」という時もただの"put on light lipstick"だし、"spread out lipstick with finger"だとどうも娼婦っぽい。いまいち「さす」に対応できるような英語が思いつかなかった。

 じゃあ、アラビヤ語はどうだろうと思って辞書を引いてみた。「口紅を塗る・つける」ということは"استخدمت احمر شفاه"だという。ここで使われている動詞は"خدم"(仕える、雇う)という動詞のX形で、意味としては、"to employ, hire, take on, engage the services, to use, make use"で、なんだか不思議な言語感覚だなあと思った。これも「さす」という微妙なニュアンスを孕まないようだ。

 また、「紅色」とは「赤色」ではない。「赤色」はあくまでも光を表す言葉で、「夜が明ける」時に空が白むように「あかるくなる」ことが起源だ。一方「紅色」は、紅花から抽出された染料の鮮やかな赤色を指す。(余談だが、紅綬褒章のリボンの色は紅色。日本国旗の日の丸もまた、紅色と決まっている。紅葉に関しても、葉が紅によって染められてゆく光景を髣髴とさせるため、「紅」という言葉が当てられているという。)紅色はずっと情趣的な色だと見なされてきた。

 うろ覚えだが、どこかの雑誌でshu uemuraやDiorが日本の「紅色」からインスピレーションを受けて作ったルージュが紹介されていた。誌名も時期もはたまた品番すらも覚えていないので恐縮だが。トレンドのせいもあってか、しばしば「紅色」の口紅は一口に「赤リップ」と呼ばれるが、これは勿体ない気がする。「紅」「紅」だ。どうせだったら言葉は贅沢に使った方が楽しい。

 紅色は気高く、また凛々しい色であるがゆえに、身につける女性にはそれ相応の内面が求められる。だが、わたしの友人はCHANELの99番の真紅の口紅を躊躇いもなく引く。それもわたしの目の前で堂々と引く。小さく整った唇は口紅が触れた瞬間に紅く染まる。その所作は、まさに「紅をさす」という言葉を連想させる美しい所作だ。わたしはその光景に痙攣的な美をおぼえる。彼女は「ルージュを引く」という言葉を使うけれど、わたしにとっては「紅をさす」所作そのものだった。彼女は気高く、凛々しく、しなやかで強い自我を持っているからこそ、「紅をさす」に足る女性だと言えるのだと思う。

 こんな散文を書こうと思ったきっかけは、先日資生堂の美容部員のお兄さんが「紅をさす」という言い回しを使っていたからだ。美しい日本語だとつくづく思い、今回「紅をさす」ということについて考えてみた。「紅をさす」に見合う女性になりたいものだとぼんやり思った。